風俗博物館

京都の祭

何百年、千数百年続く祭りには、
当時の町衆の魂が今も生きている。
今も昔も変わらない祭りの躍動。
「疫病退散」や「五穀豊穣」を祈る行列。
祖先の祈りが今も私たちの魂に刻まれている。

京都の三大祭、葵祭、祇園祭、時代祭はまさに動くミュージアム。その時代の最先端の技術によって加飾され、非日常の美を表現している。眼福だけでなく、横笛や鉦の音など邦楽の響きも私たちを異世界にいざなう。
葵祭は、欽明天皇の時代(539-571)、風雨が激しく五穀が実らなかったため、神託により祭礼を行ったところ五穀が実った、というのがはじまりである。賀茂別雷神社(上賀茂神社)と賀茂御祖神社(下鴨神社)の例祭となり、平安時代からは国家的祭事となった。現在では5月15日に御所から下鴨神社、下鴨神社から上賀茂神社へと行列が向かう。参加者は葵(フタバアオイ)と桂で作った「葵桂」を飾る。斎王代列の斎王代は垂髪(おすべらかし)で腰輿(およよ)に乗る。平安風俗や乗物などもすべて復元し、「動く王朝絵巻」と称される。
祇園祭は、869(貞観11)年、都をはじめ全国で流行した疫病は、荒ぶる神・牛頭天王(ごずてんのう・スサノオノミコト)のたたりと考え、これを鎮めるために、神泉苑に当時の国の数である66本の矛を立てたのがはじまりとされる。矛は時代とともに装飾された巨大な鉾に変化。長刀鉾は一番鉾であり、前祭の先頭を行く。それ以外の32基の山鉾は前祭と後祭に分かれて巡行する。鉾の装飾は町内ごとに競ったため、16世紀のヨーロッパのタペストリーや江戸時代の名だたる画家の作品、近現代の作家の作品などが使われており、「動く美術館」ともいわれている。
時代祭は、平安遷都1100年を記念して桓武天皇を祭神として創建された平安神宮の祭礼で、1895(明治28)年に始まった。京都市民で組織された「平安講社」によって運営されている。現在は延暦~維新列まで20列あり、市内の町内で各時代を担当している。装束から乗物、装飾品まで忠実に復元し、縫い方も時代によって変えるなど、まさに熟練した伝統の技を代々受け継ぐ京都だからこそ続く祭りだといえる。

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