無鄰菴

庭園文化

貴族の邸宅の庭や寺院の庭。
そこには作庭した人の想いが
込められている。
何故、ここに灯籠があるのか。
石が置かれたのか。考えてみたい。

庭園を眺めていると、京都の土、風、匂いには今も千年の時間を肌で感じる事ができる。
上賀茂神社の社家である西村家の庭園は明神川沿いにあり、代々神職を支えてきた。1181(養和元)年に当時の宮司が作庭した庭には神山(こうやま)になぞらえた降臨石が配され、神官が神社に赴く前に水垢離(みずごり)を行った場も作られている。明神川の清らかな流れと四季折々の花々が、自然と一体となった信仰を支えている。
西山西麓にある山口家は、平安時代の公家・葉室家に仕え、400年以上にわたってこの地に暮らしてきた。その庭園苔香居は、茶人が名付けたといわれ、現在は茶会も多く開かれている。その名の如く、杉苔をはじめとした数十種類の苔を見る事ができ、桜、ツツジ、楓などが植栽され、苔の緑と美しいコントラストを見せている。
鎌倉時代以降、禅宗の台頭とともに、石と砂で構成した枯山水庭園が出現する。枯山水庭園で有名な龍安寺の石庭は室町時代に作庭された。幅約25メートル、奥行約10メートルに白砂を敷き詰め、そこに大小15個の石を配置している。簡素な石庭は凛としていて、観る者の心の中に様々な風景や情景を呼び覚ます。
1894年~1896年、明治の元勲・山縣有朋の別邸「無鄰菴」の庭園は、国指定の名勝で7代目小川治兵衞が作庭した。東山を借景に、琵琶湖疏水を引き込んだ芝生の庭園は、清新で明るい。明治という新時代にふさわしい明るさがある。1890年に完成した琵琶湖疏水の存在がなくてはできないものだった。煌めきながら流れる小川と鮮やかな芝生は時代の最先端だった。
同じ時代に作庭された並河靖之七宝記念館の庭園も7代目小川治兵衛によるものだ。琵琶湖疏水を使った最初の個人庭園とされ、躍動的な水の流れも見どころである。灯篭、手水鉢などが配置され、石と古瓦をふんだんに用いた造りとなっている。

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