福寿園京都本店(福寿園京都ギャラリー)

京都で育まれた“道”

千利休が大成した茶の湯。
茶庭、数寄屋建築、茶碗をはじめとする茶道具など、
そこには日本のあらゆる文化の粋が凝縮されている。
それに触れることで、祖先の心の佇まいを感じたい。

日常の中で特別な空間を楽しむ文化が京都にはある。数多くある「道」を究める文化のうち、三つの道を紹介したい。
「香道」は東南アジアの天然香木の香りを鑑賞する芸道のことで、香は飛鳥時代に仏教とともに入り、仏教の供え香として広まった。平安時代には薫物合せなどが宮中で流行し、貴族の生活必需品になるとともに教養、芸術に欠かせない存在になっていく。東山文化が発展する室町時代に芸道として確立され、江戸時代になると、一般の人々にも広まった。単に香りを楽しむだけでなく、古典や日本の歳時を利用しゲームとして香りを楽しむ「組香」と、一つの香りを鑑賞し香りを当てる「聞香」がある。
「茶道」は1214年に栄西が『喫茶養生記』を著し、喫茶の習慣を薦めたことから始まる。鎌倉時代末期以降から茶の産地、品種を飲み当てる「闘茶」が流行。中国の茶器がもてはやされ、盛大な茶会を開催することが行なわれた。足利義政の茶の師匠とされる珠光が茶会での博打と飲酒を禁じ、亭主と客との精神交流を重視することを説いた。その後、千利休が極限まで無駄を省いた「わび茶」を大成。「わび・さび」(簡素なものの中に美しさを見出す心)、「一期一会」(一度の出会いを大切にする心)、客人をもてなす心など、茶の精神は「茶道」に留まらず、今もなお人の心に響いている。
「華道」は仏教伝来に際し、仏像などに花を供える供花がはじまりという説がある。現在のいけばなの理念は、室町時代、六角堂(頂法寺)の僧侶であった池坊専慶が確立し、仏前供養の供花から鑑賞用の立花への展開をもたらした。専慶は武家に招かれた席で客をもてなすために花を挿し、京都の文化愛好家が競い合って見に来たという。花器も唐物から、和物など多様になっていった。江戸時代になると、四季が豊かな京都では、花を生けることが嗜みとされ、「華道」は庶民にも広まった。現在では洋花なども用い、より芸術的な作品も見られる。

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